日本中が天然ホットヨガになっている猛暑であるが、皆さんはいかがお過ごしであろうか。
最近はもっぱら吉本さんのお家騒動で世間はにぎわっていたようである。
「ブログのアクセス数アップのためには吉本さんネタで記事を一本・・・しかし、」と主(株式会社SOSEKI社長)は話している。
吉本さんに関しては色々な立場の見方がありすぎて、誰を擁護しても炎上という返り血を浴びるのであるから、結局、記事のアップは辞めるとのことである。「これぞ危機管理」などと主は自画自賛している。
主がちょっとだけ考えた記事の内容は、フランス革命になぞらえたお家騒動の分析だったのだ。
つまり、会長・社長(王政)が揺らぎ始めると、その近くの貴族から改革の声を上げ始めるも(ラファイエット侯)、ソフトな改革案では収まりがつかなくなり、若手(ジャコバン派)から過激な不満が噴出するというくだりである。(←結局書いてる)
ちなみに主のフランス革命知識は、名作『べルサイユのバラ』依存である。
以上、長い余談である。
本題はフランス革命ではなく、三国志である。
『三国志に学ぶビジネススキル 第2回』をだいぶ前に予告してから延び延びになっていたのだ。
9月中旬まで東京国立博物館で三国志の特別展を開催中していることを知り、主はようやく筆を取ったのだった。
第2回のテーマは、「劉備に学ぶ人たぶらかしの術」。前編・後編に分けて、今回は前編をお届けする。
※三国志の概要おさらいは第1回の記事を参照いただきたい。
三国志に学ぶビジネススキル〜第1回 国家の大義と企業理念
三国志に登場する君主の中では、やはり、合理的で物事を即決していく魏の曹操が、リーダーらしいリーダーと言えるだろう。明るい自信家で、判断が早く、時には恐怖を与えながら臣下、臣民を支配していく。オーナー経営企業のオーナーに多いタイプだと主は言っている。吾輩はパワハラはご免であるが、全員が認めるリーダーなのだ。
一方、蜀の劉備は、一般的にも、徳を重んじた君主として、曹操と違うタイプとして認識されているようである。劉備は、自分にはない才を持った臣下によくヘリ下り、民の命を重んじ、外交上も敵国と表立って喧嘩などしない。よい条件を提示されても「下心があるわけではありませんから」と断るタイプ。その徳の高さゆえ、関羽、張飛、趙雲という名だたる武将のみならず、絶世の賢者・諸葛亮、龐統までも臣下に引き入れ、慕われ続けたと言われているのだ。
しかし、心のねじ曲がった主、
「これは計算です。計算の上で、人をたぶらかしているのです」
などと言う。主がつらつら語る。

※絵は劉備玄徳。派手な服装を好み、諸葛亮に叱られる。
実際のところ、劉備殿の政治家としての手腕は、その優柔不断な性格と、徳が無用に高すぎるあまりに、かなり「やばい」ところがあったようである。
関羽、張飛たちを臣下に引き入れ、漢を立て直すために、戦いを続けた劉備。臣下を食べさせなくてはならないのに、傭兵のような日銭生活を続け、土地を持たずに、よその貴族のお世話になりながら、なんと20年以上ものらくら放浪していたのだ。後継者に悩む貴族に土地を引き継いで欲しいと言われても「土地を横取りするなんてそんな下品なことできません」と断り、結局手に収まった土地も呂布にあっけらかんと譲り、結局、追い出され・・・。
長年ついてきた関羽・張飛たちも心の中で一度と言わず一千回くらい思ったことだろう。
人がいいのもええかげんにせぇよ、と。
にもかかわらず、臣下たちに見捨てられず、慕われ続けたのは、
「この人、自分が支えないとダメかも。」と思わせることができたからではないだろうか。
劉備は徳の高さだけではなく、漢室の血をひくという絶対不可侵の性質もあった。
臣下は「自分を輝かせてくれて、かつ存在が揺らがない君主はこの人しかいない」と思ったことだろう。
主曰く、「これこそ劉備の思うつぼなのじゃ!」ということなのだ。
主が劉備を分析した結果がこれ↓である。
その@.だまされてはいけない。計算で人をたぶらかしている!
劉備殿のブラックな一面として、曹操と協力して荒くれ者の呂布を捉えた際などは、曹操が呂布の死刑をためらう一方、「さあ、どうだか〜」と、の〜らくらと死刑の方向に話をもっていって曹操に死刑を決断させたのだ。これは計算でなくて何であろう。
おそらく、劉備は、天然半分・計算半分で、空気を吸うように人をたぶらかせる人であったと主は断定している。"自分に必要"と感じた人を引きつけ離さない才能があったのだ。
そのA.輪の中心となってメンバーを回す、現代型リーダー
興味深いのは、トップダウンの独断でスピード感をもって話を進める曹操に対し、この劉備殿、自分が輪の中心となって優秀なメンバーをぐるぐる回していく、GoogleやFacebookに見られるような現代型のリーダーに近い点である。メンバーはトップの決めたことを実行するのではなく、自発的なやる気をもって物事を進めていく。
しかし、皆と同じ目線の円の中にいながら、リーダーと見なされ尊敬され続けるは、高見に鎮座するトップダウン型のリーダーより難易度が高いと主は考える。このリーダーの座を絶対不可侵にするものが必要である。劉備の場合は、何よりも漢王室の流れを組む血筋がそれであったのではないだろうか。(米国の若きリーダーたちは自分自身の突出したテクノロジースキルで実際にモノを作れる)。バランス型の総合職タイプが評価される時代はもう古いのかもしれない。
そのB.相手に論破する気をなくさせ、情に訴える最強の天然型
劉備の人物像は、主が長年主張してきた「天然最強説」を裏付けているらしい。何やら話が長くなってきたので、続きは後編をこうご期待である。
執筆をさぼるわりに、話し出すと話が長い困り者の主なのだ。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。
代筆 by 社長