吾輩に久しく会えなくて禁断症状が出た中毒者が続出とバズり始めている。
責任を感じての登場である。
吾輩はまだ酔って水がめには落ちていない。
落ち着いて頂きたい。

写真はこのような時勢を受けて、安らぎを象徴するグリーンだと主は謳っている。
その実、花壇に植えた小さいミントとバジルが脅威の成長を続け、
「ミントテロだ」などと大騒ぎしているのを吾輩は知っている。
モヒートをたらふく飲む予定が、願いは200%叶い、消費が追い付かない生命力なのだ。
さて、主はというと、時間の合間に
「ケミストリー やっぱり歌うまい」
「バスケ ジャカルタ 記者がゲス」
などと検索して遊んでいる。
ヒットした読売小町の投稿を見て「やっぱりね」と納得すると検索の旅は終わる。
最近の若者はSNSで共感を求めて投稿する、とはよく言われたことであり、
主は自分をその世代とは違うと認識していたのだが、
「自分の中の気づき⇒検索⇒読売小町で納得」という行為も
共感を求めた旅なのであって、SNSを利用する若者との違いは、
一人で完結するか、公開するかなのだ。
共感を求める行為は世代に関わらない普遍的なことではあるが、
SNSというツールが存在していたかしていなかったかだけが
違いではないように思う。
核家族化する前、会話が家庭に飛び交う大家族が多かった時代には、
個々の主張よりも家族の長の意見が重視されるようになるだろうし、
共感を自ら探しにいかなくても価値判断の拠り所が家庭にあったように思う。
こう書くと自ら共感を探さないといけない若者が可哀そうな気もするが、
主は
「どっちでもいいんじゃな〜い」
と、この調子である。
個々が独立した考えを公に向けて発表するのは、それはそれでおめでたいのだそうだ。
(ただし、他者の共感に迎合する必要はない)
ポスト団塊、ポスト団塊ジュニア、ミレニアル、ジェネレーションZ。
「一人一人がオンリーワン」などと言いつつも、
やはり価値観の傾向の違いを感じてきた主であるが、
まさに中間に位置する30代後半は、どの世代の言い分も理解できる立ち位置と解している。
それぞれの価値観で各々自由に幸せになればよいのであるが、
組織になると価値観の強要と、自由の顔をした無秩序・無責任の主張が往々にして起こるのでまかりならん。
しかし、どういう会社にしていこうか、考えるのが楽しい点でもあるのだ。
主は、会社が大きくなった暁には、
普遍的な価値を生み出す会社にするには、世代に関わらず、
社員を採用したいと考えている。
40代前半までに答を出したいと考えている。
最後に、9/1から素敵なオフィスに引っ越すことになったのでお知らせの予告である。
なんでも、社会に貢献しながら企業がほしいデータを提供するミラクルなビジネスモデルを
準備中とのことである。
協業者と打ち合わせする機会が増えるので、引っ越しを決意したらしい。
新しい事業が進めば、主の興味も吾輩から事業に移り、
吾輩は楽をしていられるのだ。
ありがたい、ありがたい。
代筆 by 社長